ウィリアム・H・メイシー
(c)Kenta Kamada

アメリカ/フロリダ州マイアミ
俳優
1950年3月13日生まれ

ウィリアム・H・メイシー

【出生】
1950年3月13日フロリダ州マイアミで生まれる。
父は第二次世界大戦時に活躍し、空軍勲章を与えられるほどの優秀な戦闘機のパイロットであった。また、母のロイスは夫を戦争で亡くした後にメイシーの父と出会い結婚。メイシーには、母と母の前夫との間にできた兄フレッド・メリルがいる。

高校生までは内気な少年だったが、兄にギターを教わった後にタレントショーで歌を披露し、観衆の称賛を得る。また、彼は成績は芳しくなかったものの学級委員長に立候補するなど目立ちがりやの側面を見せていく。1968年カンバーランドの高校を卒業したメイシーは反戦ヒッピー運動に参加。マリファナやLSDなどの大量の薬物を摂取していた。
メイシーはウェストヴァージニア州のべサニー大学で獣医学を研究したが、ゴダード大学に転校し、劇場に関わるようになる。
1971年、大学を卒業したメイシーはイリノイ州シカゴに移りバーテンとして働きながら1年のうちに劇作家のデヴィッド・マメットとニコラス・シアターを設立。そこで舞台役者として活躍した。

【映画界へ、そして名バイブレイヤーに】
メイシーはロサンゼルスでしばらく過ごし、1980年にニューヨークに移住。そこで50以上のブロードウェイとオフブロードウェイの劇に出演し、ブロードウェイではトニー賞も受賞。1980年「ある日どこかで」で映画デビューを果たし、マメットが書いた、もしくは監督した映画に多数出演。脇役として目立たずに映画に出演していたが1996年映画「ファーゴ」で主要キャストとして出演すると、その年のアカデミー助演男優賞にノミネートされ彼は知名度を一気にあげることになる。
その後、「エアフォース・ワン」、「ブギーナイツ」、「サイコ」、「マグノリア」などに出演し、現在映画界を代表する名バイブレイヤーとして知られる。

また、テレビドラマにも多数出演し、2003年には「ドア・トゥ・ドア/バックに愛とまごころを…」で脚本家としてと主演俳優としての2つのエミー賞を受賞している。


【プライベート】
1997年に「週末はマフィアと!」で共演したフェリシティ・ハフマンと結婚している。二人は二人の娘をもうけてロサンゼルスで暮らしている。

アメリカのポスト・パンクバンド・ヘッドオートマティカの2004年のアルバム「Decadence」には、「I Shot William H. Macy (ウィリアム・H・メイシーを射殺した)」というタイトルの楽曲がある。また、彼らは、2006年のツアーでThe Smithsの「パニック」を替え歌し、「hang H.Macy(H・メイシーを吊るせ)」と歌っている。
(出典)Wikipedia,William H.Macy
Retrieved 18:23, 23 October 2008

主な作品履歴
ラジオ・デイズ (1987年)/ウディ・アレンの影と霧(1992年)/ボビー・フィッシャーを探して (1993年)/妹の恋人(1993年)/風と共に去る20ドル!? (1993年)/依頼人(1994年)/陽のあたる教室(1995年)/ファーゴ(1996年)/エアフォース・ワン(1997年)/ブギーナイツ(1997年)/ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ(1997年)/サイコ(1998年)/カラー・オブ・ハート(1998年)/マグノリア(1999年)/シビル・アクション(1999年)/ジュラシック・パークIII(2001年)/ウェルカム トゥ コリンウッド(2002年)/シービスケット(2003年)/セルラー(2004年)/Uボート 最後の決断(2004年)/サハラ 死の砂漠を脱出せよ(2005年)/サンキュー・スモーキング(2006年)/ザ・シンプソンズ(2006年、声の出演)/ボビー(2006年)/インランド・エンパイア(2006年)/団塊ボーイズ(2007年)


ウィリアム・H・メイシーとは?
  • 知らない 62%
  • ファーゴ 14%
  • マグノリア 5%
  • 駄目キャラ 5%
  • その他 13%