【出生と学生時代、コメディに目覚める】
1935年、ニューヨークのブロンクス区でアラン・スチュアート・コニグスバーグとして生まれる。ユダヤ系の家に生まれたアレンはイディッシュ語を話し、ヘブライ語学校に8年間も通っている。その後、パブリック学校を卒業、1949年にミッドウッド・ハイスクールに入学、髪が赤毛のため学校では「レッド」の愛称で呼ばれていた。
学校でのアレンは、映画で表現する運動神経が悪く不人気な自身の姿とは違い野球やバスケットをしたりカード・マジックを披露するなど実際は人気者であった。
1952年、新聞社にギャグを送りはじめたアレンは芸能エージェントのデビット・O・アルバーに見出され、彼の元でギャグライターとして働くようになる。
この頃から彼は自身のことをウディ・アレンと名乗っている。
1953年、ニューヨーク大学教育学部に入学したアレンは、そこで映画製作を専攻していたが、授業の大半をさぼり大学を中退。その後まもなくしてニューヨーク市立大学の映画科に入学するもまたもや中退してしまう。
【ギャグライター、そしてコメディアンに】
大学中退後はギャグ・ライターと本格的に活動するのと並行して放送作家としても働きはじめる。1958年にはシド・シーザーの特別番組でシルヴァニア賞を受賞、エミー賞にもノミネートされ、放送作家としての地位を上げることとなる。しかし、アレンは、放送作家の仕事に興味を失っていくのに反して仕事が増えていくことで精神を病み、病院へ通うようになる。
1961年、彼はスタンダップ・コメディアンとして新しいキャリアをスタートさせる。始めこそ酷い評価を受けるものの、舞台を重ねるごとに人気を集めニューヨークタイム誌に取り上げられるほどの評判となる。
【映画業界へ】
1965年、「何かいいことないか子猫チャン」で映画デビューを果たす。彼は脚本の執筆と小さな役での出演を依頼されたが、脚本を書き直していく過程で当初主演予定であったウォーレン・ビーティの出番を少なくし、代わりに自分の出番をビーティ以上に多くしていった。このことでビーティはこの作品を降り、代わりにピーター・オトゥールとピーター・セラーズが作品に参加することとなる。セラーズは、大スターであったためアレンは結局脚本を書き直すこととなった。この経験は、アレンに映画製作において映画をコントロールすることが大事であると思わせることとなる。
1966年、日本のスパイ映画である「国際秘密警察」をアレンの編集によって台詞を全て差し替えて作られたパロディー映画「どうしたの、タイガー・リリー?」がアメリカで公開される。これが、実質アレンの初監督作品といえる。
【アニー・ホール、そして映画監督へ】
アレンは、「泥棒野郎」で初の監督、脚本、主演を勤めると「ウディ・アレンのバナナ」、「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」、「スリーパー」など、この手法で次々と製作していく。
1977年、洗練されたコメディーと人間ドラマが混ざり合った「アニー・ホール」を製作。この作品は、アカデミー賞最優秀作品賞を含む主要4部門で最優秀賞を受賞。その他、多くの映画賞を受賞する。
この作品は、映画史においても重要な作品となり、ウディ・アレンの作品の中でも一番の作品と評価されている。
アカデミー賞を受賞したアレンは、続けて初のコメディーの要素を一切取り除いたシリアス作品「インテリア」を製作。この作品では彼がこよなく愛するイングマール・ベルイマン作品の影響が多大にみられる。この作品の成功によりアレンはコメディアンとしてだけでなく映画監督として一流の仲間入りを果たしたといえる。
その後も勢いが衰えることなく1年に1本以上のペースで映画を発表している。
もちろん数だけではなくアレンの作品は、アカデミー賞ノミネートの常連となっている。
その数は驚異的で主演男優賞1回、監督賞6回、脚本賞14回と脚本賞についてはビリー・ワイルダーの11回を抑えて最多記録を更新中である。(総ノミネート数も最多:2008年1月現在)しかし、これだけアカデミー賞にノミネートされながらも授賞式には出席せず、受賞ごっこにはまるで関心がないと話している。「アニー・ホール」がオスカーを獲得した授賞式の際も彼は常連のパブで趣味のクラリネットを吹いていたという。
彼は唯一、2002年のアカデミー賞の授賞式で行われたアメリカ同時多発テロ事件犠牲者の追悼企画に参加している。
【プライベート】
彼は「ボギー!俺も男だ 」や「アニー・ホール」で共演したダイアン・キートンと付き合っていたが破局。その後、共演者のミア・ファーローと交際、二人の子を授かっている。長年連れ添っていたが、ミアがその前夫との間に養女として向かい入れていた韓国系アメリカ人、スン・イーと男女の仲になってしまい、ミアと破局。ミアは訴訟を起こし泥沼のスキャンダルとなった。アレンとスン・イーとの年齢差は35才である。
1997年にスン・イーと結婚。ちなみに二人は二人の養女を迎えている。
アレンのスタンダップ・コメディアン時代のCDが発売されている。
Standup Comic / Woody Allen
(出典)Wikipedia,Woody Allen
Retrieved 18:20, 21 January 2008
主な作品履歴
何かいいことないか子猫チャン [脚本のみ](1965年) どうしたの、タイガー・リリー? (1966年) 007/カジノ・ロワイヤル (1967年)
泥棒野郎
(1969年)ウディ・アレンのバナナ(1971年) ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう
(1972年) スリーパー
(1973年)ウディ・アレンの愛と死 (1975年) ウディ・アレンのザ・フロント [出演のみ](1976年)アニー・ホール(1977年)
インテリア
(1978年) マンハッタン
(1979年)サマー・ナイト (1982年) カメレオンマン(1983年) カイロの紫のバラ
(1985年) ハンナとその姉妹 (1986年) セプテンバー September (1987年) ニューヨーク・ストーリー(1989年)
ウディ・アレンの重罪と軽罪 (1989年) アリス (1990年) ウディ・アレンの影と霧 (1992年) 夫たち、妻たち (1992年) マンハッタン殺人ミステリー
(1993年) ブロードウェイと銃弾 (1995年) 誘惑のアフロディーテ (1996年) 世界中がアイ・ラヴ・ユー (1997年) 地球は女で回ってる
(1997年) セレブリティ (1998年) アンツ [出演のみ](1998年) ギター弾きの恋
(1999年)おいしい生活(2000年) スコルピオンの恋まじない (2001年)さよなら、さよならハリウッド(2002年)僕のニューヨークライフ
(2003年) メリンダとメリンダ(2004年) マッチポイント(2005年)


