スタンリー・キューブリック
(c)Kenta Kamada

アメリカ・ニューヨーク州
監督
1928年7月26日生まれ~1999年3月7日

スタンリー・キューブリックとは


完全主義者として知られる映画監督。その完全主義者ぶりは上映形態、画面比率、外国で挿入される字幕を再度英語に直したものをチェックしたりするなど枚挙にいとまがない。

【キューブリックの出生と幼少時の趣味】

ユダヤ人の両親の元に生まれる。ちなみに父親は医者である。12歳の頃にチェスを覚え熱中し、13歳の時にカメラをプレゼントされたことにより熱中、そしてジャズにも強い関心を示し自らドラムもプレイした。

【キューブリックとチェス】

チェスに強い関心を示したキューブリックは高校生時代にワシントンスクエアーなどでチェスハスラーとして活躍し、週に20ドルほど稼いでいた。また、トーナメントにも出場していた。ちなみにキューブリックの映画で初めてチェスのシーンが登場するのが「現金に体を張れ」である。

【キューブリックとカメラ】

フランクリン・ルーズベルトの死を伝える写真を撮り、LOOK誌に売ることに成功したことをきっかけにカメラマンとしてのキャリアをスタートさせることになった。

【キューブリックと映画】

LOOK誌で働いている期間の1948年にToba Metzと結婚し、1951年に離婚。同年、友人のアレックス・シンガーの薦めによりショートドキュメンタリー「拳闘試合の日」を撮る。これをきっかけに映画のキャリアをスタートさせる。

その後もショートドキュメンタリーを撮り、「恐怖と欲望」で初めての長編映画を撮ることになる。この作品は批評家には概ね好評だったが、商業的には失敗した。後年、キューブリック自身はこの作品を失敗作だと考え、レトロスペクティブなどで上映されないようにこのフィルムのプリントを買い占めたといわれる。

「恐怖と欲望」をきっかけに映画製作に自信を持ったキューブリックは「非常の罠」やSF三部作「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」、「2001年宇宙の旅」、「時計じかけのオレンジ」などの名作を次々と発表していく。

映画に意欲を燃やし続けたが、12年ぶりに監督した「アイズ・ワイド・シャット」が遺作となる。


企画していたが、実現しなかったものも多い監督としても有名。特にキューブリックが熱心に実現しようとしていたのがフランス皇帝・ナポレオンの企画で、この映画の調査のためにキューブリックは500冊ほどの本を読んだといわれる。
(出典)Wikipedia,Stanley Kubrick
Retrieved 12:57, 9 December 2007
主な作品履歴
拳闘試合の日 (1951年)/恐怖と欲望 (1953年)/非情の罠 (1955年)/現金に体を張れ(1956年)/突撃(1957年)/スパルタカス(1960年)/ロリータ(1962年)/博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(1964年)/2001年宇宙の旅 (1968年)/時計じかけのオレンジ (1971年)/バリー・リンドン(1975年)/シャイニング(1980年)/フルメタル・ジャケット(1987年)/ アイズ・ワイド・シャット(1999年)
スタンリー・キューブリックとは?
  • 時計じかけのオレンジ 31%
  • アイズ・ワイド・シャット 19%
  • あの年でこういう性を題材にした作品を撮るっていうことがスゴイすよね
    (42歳 映画プロデューサー)

  • シャイニング 17%
  • 2001年宇宙の旅 14%
  • 何回も見てますが未だに意味がわかりません。(26歳 研究職)

  • フルメタル・ジャケット 11%
  • 知的 5%
  •  
  • 完全主義 3%