【出生と学生時代】
ケンタッキー州のルイズビルに生まれる。幼少期は、父の仕事の関係で引越しを繰り返す。学生時代は絵画や、スーパー8mmでの映画製作に夢中になり、1970年にロードアイランドデザイン学校に入ると、実験映画の作家スタン・ブラケージやジョナス・メカス、またアンディー・ウォーホールなどからアバンギャルドの影響を受ける。ここで彼は専攻を絵画から映像に変えている。
卒業後渡欧。
【ポートランド三部作】
1976年ハリウッドでケン・シャピロの助手として働く。この時、ヴァン・サントはいくつかアイディアを出したが、何一つ採用されることはなかった。後にこの時の挫折をもとに「Alice
in Hollywood」を作っている。
この時期、彼はハリウッドの落ちぶれた人々の生活を観察して時間を過ごしていた。彼は次第に社会から取り残された人々に注目し始める。
その後、ニューヨークで広告代理店でCM制作など行い、そこで稼いだ約250万円の予算を使い1985年「マラノーチェ」を製作する。
この作品は、ロサンゼルス・タイムスに「最高のインディペンデント映画」と賞賛され、1987年度LA映画批評家協会賞最優秀インディペンデント/実験映画賞を受賞。
この作品でハリウッドに注目されるようになり、ユニバーサルから誘いを受けるが、ヴァン・サントから提示されたプロジェクトをスタジオが拒み、この話はなくなる。
この時提示されたプロジェクトが後の「ポートランド3部作」であり、彼はユニバーサルに拒否された後にポートランドへ向かい、「ドラッグ・ストア・カーボーイ」「マイプライベート・アイダホ」を完成させる。
「ドラッグ・ストア・カーボーイ」が全米映画批評家協会賞の3部門を受賞、「マイプライベート・アイダホ」では、リバー・フェニックスが1991年度のヴェネチア国際映画祭、全米批評家協会賞、インディペンデント・スピリット賞でそれぞれ主演男優賞を受賞し、ヴァン・サントは監督としての大きな注目を浴びることとなる。
「マラノーチェ」、「ドラッグ・ストア・カーボーイ」、「マイプライベート・アイダホ」といった初期の3作は、まとめて「ポートランド三部作」とされている。
【大作映画への挑戦】
994年、850万ドルもの予算で「カウガール・ブルース」を監督をするが、批評的にも興行的にも失敗に終わる。
しかし、1995年、ニコール・キッドマン主演の「誘う女」で成功を収め輝きを取り戻すと同年、「KIDS/キッズ」を製作。1997年には「グッドウィル・ハンティング」を監督し、興行的成功を収める。同作品は、監督賞も含めアカデミー賞9部門にノミネートされ、助演男優賞、脚本賞を受賞している。
「グッドウィル・ハンティング」で成功を収めたヴァン・サントはアルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」のリメイクを手掛けるも、これが失敗に終わる。
【インディーズへの回帰、死の三部作】
彼は、低予算な実験的映画への回帰を望み、メジャースタジオを去ることになる。
2002年「ジェリー」では、砂漠で行方不明になる若者たちを最小スタッフで撮影、評価は二分化したものの、続く「エレファント」は、カンヌ国際映画祭でパルムドールと監督賞をダブル受賞し、世界中にその名を知らしめることになる。2005年には、ニルバーナのカート・コバーンの最後の数日を描いた「ラストデイズ」を完成させ、「死の3部作」を完結させる。
【映画以外の活動】
90年代の前半ヴァン・サントは、多くのミュージックビデオを監督している(デビッド・ボウイ、エルトン・ジョン、レッド・ホット・チリペッパーズなど)。
また、彼はアウトローへの敬意を表現したショート・フィルムをコンスタントに撮り続けている他、1992年に写真集「108 Portraits」を、1997年に小説「Pink」を発表するなど活躍は多岐に渡っている。
現在でも購入することができ、視聴も可能である。
その後も何枚かのアルバムをリリースしている。
18 Songs About Golf
Gus Van Sant
主な作品履歴
マラノーチェ (1985) ドラッグストア・カウボーイ (1989) マイ・プライベート・アイダホ
(1991) カウガール・ブルース
(1993) 誘う女 (1995) KIDS/キッズ[製作総指揮] (1995) グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
(1997) サイコ (1998) 小説家を見つけたら (2000) GERRY ジェリー (2002) エレファント (2003) ラストデイズ
(2005) パリ、ジュテーム
(2006)



