【デヴィッド・リンチの生い立ち】
1946年1月20日にアメリカのモンタナで生まれる。成長したリンチはかねてから関心のあったアートの世界へ入り込んでいくようになる。そして、アートスクールで知り合った仲間たちとアートの勉強のためヨーロッパ行きを計画することになる。当初の予定では3年間滞在する予定であったが、リンチはわずか15日間でアメリカへ帰ってきている。
【映画活動への目覚め】アメリカへ戻ったリンチはフィラデルフィアに居を構えた。そして、Six Men Getting Sick(1966)というショートフィルムを撮影し、コンテストで入賞する。これ以来、リンチは映画によりのめり込んでいくようになる。
【カルト映画・イレイザーヘッド】1971年にロスアンジェルスに移ったリンチは一万ドルの助成金を得てカルト映画「イレイザーヘッド」を製作に取り掛かる。しかし、充分な資金がなかったため途中で何度も撮影が中断し、リンチ自身も資金集めに奔走することになる。
何度も中断しつつ1977年に完成することになる。完成した作品はリリースできないという判断を下されるが、配給会社の努力によりカルトヒット作品となる。ちなみにスタンリー・キューブリックはイレイザーヘッドをフェイバリットムービーに挙げている。
【エレファントマンの成功】「イレイザーヘッド」の成功によって注目を集めたリンチは「エレファントマン」を監督する。この作品はカルトな内容ながらも興行的に大成功し監督賞を含むアカデミー賞数部門でノミネートされた。
この作品の成功により元々リンチのファンだったジョージ・ルーカスから「スターウォーズ ジュダイの帰還」の監督をオファーされるがリンチはきっぱり断る。
【デューン砂の惑星の失敗】エレファント・マンの成功によって予算45,000,000ドルの大作映画「デューン 砂の惑星」を依頼され引き受けることになる。しかし、批評家に酷評され商業的にも失敗することになる。
【1986年/ブルー・ヴェルヴェット】アメリカの小さな町を舞台にした不気味な物語の「ブルー・ヴェルヴェット」でリンチはまたもや大きな成功を収めアカデミーショーベスト監督賞にノミネートされる。ちなみにウディ・アレンはこの年のベストフィルムにブルー・ヴェルヴェットを挙げている。
【テレビシリーズ/ツウィン・ピークス】リンチはテレビプロデューサーのマーク・フロストと組んでツウィン・ピークスを監督することになる。ツウィン・ピークスは1990年からABCネットワークで放映され徐々に人気が広まっていきカルトヒットから一般的な人気を獲得するにいたり、『この10年で最も人気があったテレビシリーズ』と言われるようになる。
しかし、リンチとABCネットワーク側でローラパーマーを殺した犯人が誰かを明かすか明かさないかで対立してしまう。ABCネットワーク側はシーズン2で犯人を明かしたがったが、リンチはこれに反対し双方の間に亀裂が生じてしまう。
【デヴィッド・リンチに影響を与えた人物】ジャック・タチ、スタンリー・キューブリック、フェリーニなどの映画監督、「変身」で知られるチェコの作家フランツ・カフカ、そして画家のフランシス・ベーコンなどを影響を受けた人物たちとして挙げている。
主な作品履歴
イレイザーヘッド(1976年)/エレファント・マン(1980年)/砂の惑星(1984年)/
ブルーベルベット(1986年)/ツイン・ピークス(1989年)/ワイルド・アット・ハート(1990年)/ツイン・ピークス(1990?1991年)/ロスト・ハイウェイ(1997年)/ストレイト・ストーリー(1999年)/マルホランド・ドライブ(2001年)/ミッドナイトムービー(2005年)/インランド・エンパイア(2006年)



